気づいたら24歳でした。

久しぶりにブログ更新です。

大変更新が滞ってしまいましたが、鳥居が書きます。

と言うことで本日7月15日で私鳥居和真24歳の誕生日を迎えました。

誕生日が迫っているのに気がついたのは2日前でした。
そして、その誕生日当日も稽古や打ち合わせやらであっち行ったりこっちいたりという今日でした。

さて、24歳になったので何か抱負とかあるの?と聞かれたので、

24歳は、「やりたいことをちゃんと夢ではなく達成していきたい」です。

たまには昔話をしたいと思います。

10代の頃からずっと思っていたことですが、夢っていつ叶う・達成できるものなんだろう。
この悩みが僕の中で高校生の時からありました。

だって、夢なんてひとつだけとは限らないと僕は思うのです。

それに僕にも夢はたくさんあります。
夢がいつか目標になって達成し、また新しい夢が生まれていく。そして高みを目指していく。

これが僕の理想の形でした。
でも、僕は凡人でした。

ただ演劇が好きな1人の人間だったのです。
僕が凡人だと言う話は、前にもお話ししたことがあるので割愛します。

少なくとも僕がこの好きな世界で体験しわかったことは、努力し続けられ、才能やセンスのある人が居続けられる世界だったということ。

この才能とセンスは別に他者よりすごく秀でていなくてもいいのです。自分の武器だと思えるものがそこにあるなら。

でも、僕にはそれを自分の中で見出せませんでした。
僕の師である横内謙介さんが当時、高校生だった僕に言ってました。
「芝居は、練習したからといって、上手くなるものではないと。突然上手くなるものだと」

これは、練習をしなくても上手くなれるというわけではなく、練習してもその才能が開花するのはいつか分からないから、明日なのかもしれないし一年後なのかもしれないということです。

僕はその時、思いました。
僕は、演劇が好きなだけのやつだってことに。
その時は18歳の頃でした。

そんな現実を知った上でも、僕が好きなもので生きていきたかったのです。

そのために僕が見つけた方法が、生きるための演劇をしようと。
才能やセンスと言った他者より秀でているものがなかった僕ができることといったら、人より努力をすること。

その努力の矛先を僕は、演者ではなくクリエイター側に視点を向けました。

僕がどうしてクリエイター側に目を向けるようになったのかは、またひとつずる賢い話なんですけど、僕が通っていたミュージカルスクールの時の話です。

その時、本公演に向けて稽古が絶賛行われていたわけなのですが、演劇をはじめてまもなく何もできなかった僕には目立った出演シーンなんてその時なかったんです。 

その他大勢の1人。

でも、どうにかしてチャンスや名前を存在を知ってほしい。

と考えた僕は、その時稽古場音響っていうポジションがあって、そこに行ったらずっと稽古場にいることができるし、もっと演劇のことが勉強できると考えたんですね。

で、それを実行に移したわけです。
一応自分の出演パートもあるからそれをどうにか他のこと切り盛りしながら。

僕はその行動を移すまでは板の上から演出卓を見ていたわけですけど、演出卓からアクティングエリアを見るとまた別のように感じられる。
そこか創造される世界の組み立てが本当に面白くて、その作り手に魅了されました。

ほかに何が面白いかって、脚本・演出・音響・照明・振付含めどういう意味をなして今、これが行われているのかということが構造として見えてくることです。

ただ、そこで行われているのでなく、そこに必要な布石を置いていたことにこっちにくることでわかったんです。

まぁ、そんなこんなで僕は、クリエイター(演出家)を18歳から志したわけです。 

大学では、演劇理論や演劇史を学び、外では舞台制作現場で勉強しながらその構造を把握していく。

で、自分の団体をたちあげたりしたので、団体運営の方法を学んだり。

大学時代の僕を知っている人はわかると思うんだけど、実家暮らしなのに、本当にお金がない生活を送っていて。

スーパーで売っている安売りのパン一つ持って大学とか稽古とかバイトしたり。

ある時、場当たりに向かうときに電車の中で倒れたりして、でも場当たり行かないといけないから、なんとか劇場いったり。 

今のご時世柄おかしいと思うようなこともいろいろしたりして、大学4年間過ごしていきました。

その中で、やっぱり努力することは、誰か見てくれているもので、とてもお世話になっている横内謙介さんや鈴木里沙さんのもとで演出助手として勉強させてもらったり、大学時代にお世話になった田尾下哲さんともいまだに舞台のことで交流を持てているのは本当にありがたいと日々感じているわけです。

で、僕は勘違いしたんですよ。

我武者羅に努力して音響・照明・演出助手・映像・DJ。あと、自分の団体だと構成・演出・作詞・振付が自分で少しはこなせるようになりました。

大きな舞台で助手として創作活動に着手しました。

だから、自分はすごくなったんだと。
天狗になってしまったわけです。

その天狗になった時に、ちょうどコロナが流行りまして決まっていた仕事が次々に消えていきました。

タラレバの話をしても仕方ありませんが、コロナさえなければ、自分の目指したい夢や目標に近づくための手段がもっと近くにあったのだと思います。

そこで、僕はふと後ろを振り返ってみたら、思ったわけです。

自分では何も達成できていないのだと。
18歳から22歳にかけてたくさんの経験や知識を得ることができました。

でも、それを具現化する手段を僕はとってこなかった。
誰かの才能の上でただ、有頂天になって踊っていただけだったんです。
何よりも、自分の足で一歩踏み込む勇気が当時の僕にはなかったんです。

なので、自分のスタイルでこの世界に挑もうと思いつくったのが、劇団天の河神社第4回本公演「今、この胸から溢れ出す青春を」という作品。

僕の劣等感から生み出された作品です。

ありがたいことにたくさんのご好評の声をいただきありがたい限りです。

さて、時は現代に戻りまして24歳の今。 

来年、大規模な公演を打つ予定です。
そのために今日もあっちこっちいってました。
で、今僕が求めてるのは一緒に上を目指して戦ってくれる仲間を求めてます。
今、僕と作家の中島と制作のマキの3人。
これから僕がやろうとしている基準ではもう賄えないのです。

俳優もスタッフも欲しい。
でも、ちゃんと責任と覚悟を持って取り組める人と一緒にモノ作りをしたい。
僕はそれで何回も痛い目を見ているので。
まぁ、これはまだ明確なことは公式でも発表されていないからもし気になる人がいたら、のちに出る概要をチェックしてもらえたら嬉しいな。

ともあれ、僕が心から欲しいのは仕事が欲しい。

いくら自分で企画を作って仕事にしても、もっと外の刺激を受けたい。 
もっと外に飛び出していきたい。 

とやりたいことも昔話もなんとなくかけたからもう、いいでしょう。

とりあえず、24歳になったからって見た目の童顔も変わらないし身長も高くならない。 

でも、もっと幸せになれるように生きていこうと思います。

劇団天の河神社

鳥居和真の主宰する 劇団天の河神社 の公式HPです。 公演情報から劇団員情報まで様々な情報を更新していきます!

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